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陸中のツァラトゥストラ、ついに上京する!!

私の政治的立場を表明します。 ①リベラリズム(リベラル) ②全体最適(ピーター・ドラッカー) ③イノベーション理論(ヨーゼフ・シュンペーター) ④社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン) 「誰一人として見捨てない!!」 ユニバーサル・ベーシック・インカム(④の手段として)の推進運動へのコミットメント。ポピュリズムの台頭は、「教育の敗北」です。私は「リベラル」な立場で、世界中のできるだけ多くの人に「質の高い教育」をばら撒くことを推進する立場です。世界の教育水準が上がれば、世界は必ず繁栄します。私はそう信じ

私がリベラルである理由

自慢じゃないが、私は世の中には全く名前の通っていない小市民である(笑)

しかし、小市民の分際で政治的立場を持っている。
それは大きく次の4つだ。

①リベラル(ジャン・ジャック・ルソー

全体最適ピーター・ドラッカー

イノベーション理論(ヨーゼフ・シュンペーター

④社会的包摂

では、今回は①リベラルである理由について述べたい。
私は小さい頃から自由が大好きだった。自由な発想で自由にモノを考えたり、自由に行動することが好きだった。今でもそうだが、他の人ももっと自由に生きればいいのにと思っている。なぜなら、他の何人にも私と同じだけの自由があるからだ。

自分がリベラルだと自覚したのはだいぶ後になってからだが、今考えてみれば私はだいぶ小さい頃からリベラルな思想を持っていた。

しかしリベラルの立場でいると、ある思想ととても相性が悪いことに気付く。その思想は紀元前の大昔から存在していて、今現在も日本社会に色濃く残っている思想だ。

それは「儒家思想(儒教)」である。
儒家思想は、「人間の上下関係で守るべきこと」を最重要のこととして考える思想だ。つまり、「年長者は経験豊富であり、若輩者は未熟な存在である。だから年長者が若輩者を教育・指導する。」というのが、儒家思想の本質だと思う。

私はとにかく、この「儒家思想」と相性が悪かった。
抑圧されたり、説教されたり、怒られたり、こちらも反抗して衝突したり、時には殴り合いの喧嘩になったこともあった。なぜ相性が悪かったのか?それを答えるのは簡単だ。それは儒家思想が私の自由を制限しようとしたからである。わたしは当時から筋金入りの「リベラル」だったのだ。

私の立場からは非常に相性の悪かった「儒家思想」だが、なぜ歴史上長い間残り続け今も色濃く現代の日本社会に残っているのだろうか?それは「儒家思想」が優れた何かを持っていたからだ。
なぜ「儒家思想」の優れていたのか?
それは「年長者が優れていることも多い」からだ。

少し前に、ある学校の先生とこのことについて話す機会があり、私はリベラルな立場からいろいろ議論を試みてみた。それは「三方良し」という近江商人の思想の解釈についての話だった。私の「三方良し」のイメージは、文字どおり「すべての人にメリットがある」とか「全員得する」とかそういうものだ。

しかし、先生の意見は違っていた。彼はこう言った。

「結局、年長者がトップに収まることが、三方良しなんじゃないか?」

つまり、「年功序列が三方良し」だと彼は言ったのだ。

おそらく、これは彼のこれまでの経験から導き出されたものだろう。比較的若い人間が抜擢されるがうまくいかなかった実例、その後年長者がそのポストに収まることで組織がうまく回り出す実例があったに違いない。

現状の日本は、だいたいこんな感じで機能しているのではないかなあ。仮に論理的でないことが行われていたとしても、年長者が組織のトップに君臨し「儒家思想」によってそれを封じ込める。表向きにはあたかも波風も立っておらず、論理的に物事が進んでいるように見せる。

しかし、それが日本社会にとって都合がいいことも多かった。いくら論理的であっても、若輩者が年長者の上に立っている場合は、その若輩者に年長者の「憎悪」が集中してしまう。経験あるベテランがやる気を失い「サボタージュ」してしまう。これでは組織が機能するはずがない。

結局「年功序列」が最適解、ということになるわけである。日本は現在に至るまで、この「儒家思想」が「意思決定」に大きな影響を与えてきたのは明白な事実だろう。

「今まで」はそれでよかった。いや、よかったかどうかではない。実際「それ」でやってきた。問題は「これから」も「それ」でいいのか?ということだ。未来においても、過去と同様に「儒家思想」が大きな影響を及ぼしていくのか?

わたしは、従来の「儒家思想」をこれから持ち続けていくことはできないし、そうすべきでないと思っている。理由はテクノロジーの進歩やイノベーションが急激に加速しているからだ。「年長者」が最新のテクノロジーやイノベーションに強くコミットメントを持っている例は極めて少ない。その分野に強いコミットメントを持っていない人間が、高い「リテラシー」をもつことはありえない。

その分野に全く精通していない人間が、「意思決定」に対して強い権限、影響力を持つとしたら・・・その将来はかなり悲観しなければならないだろう。悲劇的な末路をたどるかもしれない。

なぜなら、日本が最適な「意思決定」を怠り、最新テクノロジーやイノベーションを実装することができなかった場合でも、他の国々は実装する可能性は高いわけで、そこで生まれる差は絶望的なものになりかねないからだ。

私は自由な立場から、「全体最適」や「イノベーション」を強力に推進して「社会的包摂」を実現し、個々人が享受できる自由の総量を最大化することを目指している。リベラルな発想のもとに、それぞれの分野で能力の高い人間が「意思決定」の権限を持つべきたと考える。現状の「儒家思想」的な社会ではそのようになっていない場合、つまり能力のない人間が「意思決定」の権限を持つケースが極めて多く、大変もったいないことになっている。

非効率な愚行を繰り返している間に、世界での日本の位置づけは「借金まみれの鈍くさい超富裕層」になってしまった。世界最悪の借金持ちであり、財政破綻はすぐそこに迫っている。
日本のマクロ経済はかなりやばいことになっているのである。

日本の労働生産性G7中で最下位である。それでもなお、従来の慣習を続けていく理由も必要性も認めない。

既得権益の牙城は想像以上に強固だ。
あなたは「変革」という「憧れの矢」を放つのか?それとも、その場しのぎで苦しみから逃れるために、「つかの間」の「安楽」を求めるのか?
それは、貴方自身が決めねばならない。