陸中のツァラトゥストラ、ついに上京する!!

私の政治的立場を表明します。 ①リベラリズム(リベラル) ②全体最適(ピーター・ドラッカー) ③イノベーション理論(ヨーゼフ・シュンペーター) ④社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン) 「誰一人として見捨てない!!」 ユニバーサル・ベーシック・インカム(④の手段として)の推進運動へのコミットメント。ポピュリズムの台頭は、「教育の敗北」です。私は「リベラル」な立場で、世界中のできるだけ多くの人に「質の高い教育」をばら撒くことを推進する立場です。世界の教育水準が上がれば、世界は必ず繁栄します。私はそう信じ

自己体験から考える、無力からする意志の歯ぎしり「ルサンチマン」。

人は「夢」を持ったりする。
一年くらい前、部屋掃除をしていると、懐かしい物が出てきた。それは、私が小学一年生の時の文集だった。ミミズの這ったような字で書かれていたのは、「将来の夢」。おおきくなったら、何になるのかについての作文だ。

私の当時の夢は、「プロ野球選手」。当時はいまほどのサッカー人気はなく、シーズン中、テレビではナイター中継が毎晩のように見れた時代。外で活発に遊ぶのが好きだった私がプロ野球に夢中になったのは、ある意味必然だった。
多くの日本の子どもたちがそうであったように・・・。

今考えれば、子供たちはニーチェの言うところの「憧れの矢」を数多く放っているように思う。私も、あれになりたいとか、こうしたいとかという「憧れ」がいっぱいあり、そういった「憧れの矢」をたくさん放っていた。

ずっと後になってから、私の父親は当時私が野球にのめり込んでいくことをあまり喜んではいなかったようだ、ということを知った。親には守るべき家族があり、その生活を維持するために経済的な活動が要求される。それが、様々な事情を生む大きな要因となっている。多くの父親がそうであるように、私の父親も生活を維持するための仕事が最重要のものの一つであり、私が野球にのめり込み過ぎて勉学やいい仕事につく活動をおろそかにすることを恐れていたようである。

プロ野球選手になれ選手はほんのひと握り。自分の息子(つまり私)にはそうなれる類まれな才能もなければ、野球に対するリテラシー、環境もない。

また、子供がチームに入って何かスポーツをやりだすと、それを支える親は結構大変である。(例えば少年野球のチーム運営は、父兄の熱心なサポートが必要不可欠。父兄によって関わり方は様々。)我が家の場合、両親とも野球に詳しいわけではなかったが、大事な試合には観戦しに来てくれたし、熱心ではなかったが特に不満はなかった。

ただそうはいっても、実際には野球経験者を親に持つ子どもとそうでない子供では、上達のスピードがかなり違う。野球がすることが好きであり、野球経験者を親に持つ子供は、身近に「自分だけのコーチ」がいるわけだから、大概の場合上達が早い。そこに実力を差が生まれる。

私は野球が好きだったし、うまくなりたいとも思っていた。ただ、野球がうまくなるためには情報が必要で、その時の私にはその野球がうまくなるために必要な情報が圧倒的に不足していた。
そして「うまくなりたいけれど、なかなかうまくならない。」という「歯がゆい状況」に陥ってしまう。実際チーム内でも一番うまい奴と客観的に比べると、だいぶ見劣りしていたのは事実だった。

結論からすると、この時は「ルサンチマン」に本格的に支配されたわけではない。しかし明確に言えるのは、この時はっきりと「無力による意思の歯ぎしり」を感じていたということ。少年野球チームの監督・コーチ陣は熱心な人が多かったが、指導者たちは基本的にチーム全体のことを考えなければならない立場。わたし個人に今必要な技術指導が十分にできるわけではなかった。

それでも子供の成長は早く技術的には少しずつ上達していたから、「自己肯定感」を失うことはなかった。全てうまくいっていたわけではなかったが、中学を卒業するまでは概ね「健全」で「アポロン的」だったといっていい。

本格的に「ルサンチマン」に支配されたのは、高校に入った時だった。わたしが入ったのは、地元の普通高校。中学校の近所であり、自転車で通える高校だった。

実は中学まで勉強するという習慣がなかった私は、合格の直後に渡された「春休みの宿題」の多さに衝撃を受けていた。高校に入った順番的には中の下くらいだったが、それですっかり高校の勉強についていけるかあやしいな、と考え始めていた。

そんな状況であるにもかかわらず、身の程知らずにも大学進学を考えていた当時の私にとって、勉強は大の苦手ではあるが「やらなければならないもの」だった。だが、中学卒業まで自分なりに一番真剣に取り組んできて、ある意味自分を一番表現できるものであった野球が、今度は苦しめることになる。入学当時、同じ中学から私を含め4人のチームメートが入部を志願していたが、学業の成績は他のメンバーと比べ明らかに劣っていた。

更に決定的だったのは、尊敬する先輩のある「決断」だった。
小、中学の2つ上で勉強ができ野球もうまかったその先輩は、中学の野球部ではキャプテンでリーダーシップがあり、高校では2年時ですでにショートのレギュラー。高校の最終学年では、当然野球部主力として活躍が期待されていた。

ところが、先輩は野球部を退部した。理由は勉学に専念するため。
この先輩の決断は、私に大きな影響を与えた。
「あの頭の良い先輩ですら、勉学と硬式野球との両立はできなかったのか・・・」
「両立ができなかった」というのは語弊があるかもしれない。先輩は2年ですでにレギュラーの座を掴んでいたわけだし。
実際のところ事の詳細はよくわからなかったが、先輩が難関大を志望しているのは想像できた。

あの頭が良くて野球のうまい先輩が、「文武両道」に苦しんでいる様をまざまざと見せつけられた私は、自分が高校に入ってからやろうとしていた「文武両道」を実現する自信を喪失し、次第に「自己肯定感」を失っていった。

ルサンチマン」とは、冒頭にもあるが「無力からする意志の歯ぎしり」。
フランス語でressentimentと書く。sentimentに繰り返しの「re」が付いている。
感情が振り払えず反復するというつくりの言葉だ。
実際には「うらみ・つらみ・そねみ」をあらわす。
ニーチェはこの言葉を好んで使っていたので、思想の用語として広く知られるようになる。

高校入学時の私の場合、勉学(難関大に合格する)と硬式野球部における部活(目標は甲子園出場)という自分には高すぎる理想を掲げていたところに、現実の厳しさを突きつけられ、文武両道(両立)に対する自信を喪失してしまった。そのことによって「自己肯定感」も次第に失われていき、不幸にも、無力からする意志の歯ぎしり「ルサンチマン」に支配されてしまったのだ。

また「文武両道」を断念して勉学に専念するというのは、私にとっては「憧れを持たず、安楽のみを求める」行為だったかもしれない。「勉学に専念する」ことに「自己肯定感」を持てるのなら、なんの問題もなかった。
しかし、断念したあとも野球に対する未練(感情)は振り払うことができなかった。野球に対する未練、成果のあらわれない勉強。理想と現実のギャップで、「ルサンチマン」の闇はますます深くなっていった。

今の私であったなら、おそらく実現する確率がわずかでも「文武両道」という「憧れの矢」を放ったであろう。
なぜなら、今の私は当時とは比較にならないくらい「自己肯定感」に溢れているからである。

私は結局「ルサンチマン」に支配されたまま大学受験を失敗し、志望する大学に入ることはできなかった。しかしそれからずっと後になってから、ニーチェの思想に触れることで当時の自分の状況を自分なりに分析できた。何より大きかったのは、「ルサンチマン」を克服するためには、「自己肯定感」を意識することがとても重要だということに気づけたことだ。

ルサンチマン」に支配されていた私にとって、ニーチェの「超人思想」はすごく力強い思想だった。「健全な」自分を取り戻した今の私は、西研さん(哲学者・日本医科大学教授)が提唱する「しなやかな超人」を自分なりに目指してみたいと思っている。

また「ルサンチマン」の深い闇に苦しんでいる時、同郷(岩手県)出身で精神科医斎藤環さんの「完全なる引きこもりは超人」という思想に、どれだけ勇気づけられただろう。「自己肯定感」を取り戻し、「アポロン的」な自分を取り戻せたのは、斎藤環さんのおかげである。

私が、どうやって「ルサンチマン」を克服したのかについての詳細は、後日に譲りたいと思う。