陸中のツァラトゥストラ、ついに上京する!!

私の政治的立場を表明します。 ①リベラリズム(リベラル) ②全体最適(ピーター・ドラッカー) ③イノベーション理論(ヨーゼフ・シュンペーター) ④社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン) 「誰一人として見捨てない!!」 ユニバーサル・ベーシック・インカム(④の手段として)の推進運動へのコミットメント。ポピュリズムの台頭は、「教育の敗北」です。私は「リベラル」な立場で、世界中のできるだけ多くの人に「質の高い教育」をばら撒くことを推進する立場です。世界の教育水準が上がれば、世界は必ず繁栄します。私はそう信じ

日本の重たい社会基盤を形成する、労働原理主義・狂信者のマインドセットは変えることができるか?

① 「四の五の言わずにとにかく働け!」という労働原理主義は正しいのか?


特に病気や障害を持っているわけではないのに、働かない人間に対する

世間の風当たりは厳しい。普段は「社会的包摂」ということをしきりに訴えてる人達も、

その場ではっきり言わないにしても、結局「働け!」とか「甘やかすな!」と手厳しい。

そんな人間は当然、世間からは承認が得られず、疎外されていく。



特に日本人にとって労働することは、

例え対費用効果的に破綻していてもとても美しいことだ。

「あの人はよく働く気持ちのいい人だ。」と好感をもたれ、世間から承認される。



「そんなのあたりまえだろ!」と思う人は大勢いると思うが、ちょっと待ってほしい。



「ほかの価値観を絶対に認めない」、という考え方。

これ、何かに似てるよなあ・・・



そう、イスラム国だ。



”唯一絶対の神”「アラー」を崇める「一神教」。狂信的なイスラム原理主義だ。

排他的で、ほかの価値観を一切認めない過激な集団だ。



原理主義という言葉は、

頑迷で他者の価値観を認めないなどといった否定的な含意を伴って使用される。



「働く人がいなくなったら、世の中どうなるんだ?」

などという心配や危惧を抱く人は多いだろう。



しかし、そこに実は落とし穴があるのだ。

働くことに極端に価値をおいてしまうために、

社会基盤の効率、生産性に関しての興味、関心、リテラシーが乏しくなってしまっているのである。



世の中の効率性、生産性。

これらの向上は、おそらくほとんどの人が望んでいることであるはず。

ところが「労働原理主義者」の中には、働くことに没頭するあまり、

肝心な効率性、生産性に対して盲目的になっている人がいたりするのだ。



② 社会の効率を考え生産性を上げることが、最適解であるはずだが・・・



「労働」が美徳である日本において、

どのような効果をもたらすのか、とか、掛かるコストに比べてどうなのか、ということは

「とにかく働くこと」が重要な多くの人々において、あまり重要なことではないようである。



中には、生産性に貢献するどころか、単に高いコストだけ掛かる存在にしかなっていない

という、ひどい状況が見受けられるのだ。



ここで確認しておくが、高い効果をもたらした人間が、それに見合った報酬を得るのは当然である。

インターネットやスマートフォンのような画期的なイノベーションを起こし、

世の中全体を豊かにしてくれるかもしれない。



しかしよく注意して見てみると、高い報酬を受け取っている人間が

必ずしもそれに見合った高い効果を与えているわけではないことには難なく気が付くのだ。



効果の低い人間が高い報酬を得るためには、

ほかの誰かから搾取しなければならない。



搾取されるのは「労働」であることが多いため、

この帳尻を合わせるため、搾取される哀れな労働者は

長時間労働を強いられたり、

受け取る賃金には到底見合わないような深刻なリスクを背負わされたりする。



③ 労働原理主義の呪縛。”重たい”マインドセットから逃れられない人々。



不当な扱いを受けているなら、さっさとその職場をやめてしまえばいいのだが、

ここであの狂信的思想が登場するのである。



「ここまで頑張ってきて、それなりの評価を得たのにもったいない」

「やめてしまったら、こんないい条件で働けるところなんかないよ」




とても、人間のそれとは思えないような、

例えば、月何百時間もの残業とか、

様々なバージョンの深刻なリスクとか、

そのようなものを無理やり、有無を言わさずに強制されてしまうというのが

労働原理主義の狂信者が陥っている現実なのだ。



むろん、これらの「つらさ」を進んで引き受け、過酷な労働をすることで

自己実現しようと考えている人はそうすればいいのだが、

それを他人に強制するのは過激な(ラジカルな)思想というよりほかはない。

つまりそれこそが労働原理主義なのだ。



④ 世の中にあふれる「偽善」に苦しむ人々。




残業やリスクといった「つらさ」は世の中の「偽善」が

形となって現れた1つの例といえるかもしれないし、

様々なバージョンの「偽善」にあふれる現代社会の中で、

その「偽善」をどのようにとらえるかは、

個々人の「マインドセット」(考え方の基本的な枠組みのこと)に大きな影響を与えそうだ。




”唯一絶対の神”「労働神」をあがめる「労働教」の労働原理主義の狂信者は、

こうした「偽善」に対して寛容であるがゆえに、

リテラシーを身に着けようという意欲に乏しく、結果として社会効率に対して盲目的だ。




「とにかく働かなければならない」と考える労働原理主義の狂信者は、

勝手に「偽善に強くならねばならない!」という強迫観念にも似た思想を抱くようである。



確かに実存の問題として、

世の中には「偽善」によって生まれた「不公平」が多数存在している。



だが、我々は中国などとは違い、

すべてのことを国民が決めることができる「民主主義国家」にいるのである。

不当な「偽善」に対しては、合意を形成して

政治に対してコミットメント(責任をもって関わる)を持つことで

選挙での投票などで、改善を促す様に影響を与えることができるのだ。



ところが、そのような力を持っているにもかかわらず、

政治リテラシーを身に着ける重要性を理解しないために

労働原理主義の狂信者は「偽善」に耐えるほかないと考えてしまうのだ。



⑤ テクノロジーの進歩がマインドセットを変える



このような人々は、インターネットやスマートフォンに触れたりして、

イノベーションによって得られた利便性によって、

より生活が豊かになったと感じているはずなのだが

一方で、テクノロジーに対する興味、関心、基本的なリテラシーがあまり高くはない。



実際、テクノロジーを実装することで、

現在の大きな経済的負担をもたらす、「重たい社会基盤」が

かなり効率的に改善するだろう、と指摘するイノベーターは多い。



今や、IT先進国として世界中から注目されているエストニア共和国

すでにかなりのレベルでの「電子化」を成し遂げている。



もちろん、サイバー攻撃のリスクは高まるのだが、

サイバーセキュリティ産業には、

ソフトバンクをはじめ多くの企業がすでに参入を表明しており、

今後、リソースを集中することによって、飛躍的なテクノロジーの進歩が期待される。



あとは、合意を形成して、英断を下すだけなのだが・・・



⑥国民がすべてを決める民主主義は国民が賢くなければならない



社会保障、国家財政、テクノロジー・・・。

これらが密接に関係していることは、もはや明らかである。

英断を下せば、テクノロジーを実装することで

社会保障にかかる莫大なコストを軽減することは可能だし、

そうすれば国家財政も、重たい社会基盤が改善されることで

より健全な方向に進んでいくだろう。



ただ、高齢者の中にはテクノロジーに対して強い拒否反応を示す人たちも少なくない。

こうした多くの人達は、テクノロジーに対するリテラシーにアクセスできていないのだ。



国民一人一人が、今どのようなテクノロジーが存在していて、

どんなことができる(できそう)なのかを知ること、

つまり、すべての国民がテクノロジーに対するリテラシーを高めることが

とても重要になってくる。



「未来の国民から搾取」はするが、テクノロジーは実装したくない、

などという詭弁はもう通用しない。



民主主義国家を繁栄に導く唯一の方法は、

国民一人一人が賢くなり、

合意を形成してそれを政治に反映させることなのだということに

そろそろ気が付いてほしいと思う。